はじめに:「答えが出ない…」そんな時こそ必要な力とは?
私たちは日々、仕事や私生活において、様々な問題や決断に直面します。
特に現代は「VUCA(ブーカ:Volatility変動性、Uncertainty不確実性、Complexity複雑性、Ambiguity曖昧性)の時代」とも言われ、先行きが不透明で、何が正解か容易には見いだせない状況が増えています。
そんな時、私たちはつい焦って結論を出そうとしたり、無理に解決策を見つけようとしたりしがちです。しかし、時には「すぐに答えを出さない」「不確実な状態に耐える」という能力、すなわち「ネガティブ・ケイパビリティ」が、より良い結果をもたらすことがあるのをご存知でしょうか。
この記事では、この「ネガティブ・ケイパビリティ」という概念に焦点を当て、私自身の理学療法士としての経験を交えながら、その重要性や、現代を生き抜く上でのヒントを探っていきます。
1. ネガティブ・ケイパビリティとは何か?
ネガティブ・ケイパビリティ(Negative Capability)とは、19世紀のイギリスの詩人ジョン・キーツが提唱した概念で、「不確かさ、不可解さ、懐疑の中に、性急な事実や理由を求めずにいられる能力」を指します。
簡単に言えば、「白黒はっきりさせずに、宙ぶらりんの状態に耐える力」「答えがすぐに出なくても、焦らずじっくりと向き合う力」と言えるでしょう。
これに対して、「ポジティブ・ケイパビリティ」は、問題を迅速に分析し、明確な解決策や結論を導き出す能力を指します。ビジネスの世界などでは、このポジティブ・ケイパビリティが称賛されることが多いかもしれません。
しかし、複雑で答えが一つではない問題に直面したとき、急いで結論を出すことが必ずしも最善とは限りません。
むしろ、じっくりと情報を集め、多角的に検討し、最適なタイミングを待つというネガティブ・ケイパビリティが、より本質的な解決や、より豊かな創造性を生み出す土壌となるのです。
2. 私の経験:理学療法士としてのキャリアとネガティブ・ケイパビリティ
私自身、理学療法士としてのキャリアを歩む中で、このネガティブ・ケイパビリティの重要性を実感する場面が多々ありました。
理学療法の世界も日進月歩で、新しい知識や技術が次々と登場します。キャリアの初期には、「あれも学ばなければ」「これもできなければ」と、あらゆる方向にアンテナを張り巡らせていました。
- 多様な分野の勉強会への参加: 運動器、神経系、呼吸器など、様々な分野の勉強会に顔を出し、知識の幅を広げようとしました。
- 資格取得への挑戦: 専門性を高めるために認定理学療法士の資格を取得しました。
- 技術習得への意欲: 特定の手技(例:BiNIアプローチなど)を学び、臨床での実践力を高めようとしました。
- 教育・指導能力の研鑽: 将来的に講習会の講師や後進の指導ができるようになることを目指し、院内での研修会開催などに積極的に取り組みました。
- 管理職への意識: 組織運営やリーダーシップに関する知識をインプットし、管理職としてのキャリアも視野に入れていました。
このように、様々な可能性を探り、多方面に「種をまく」ような活動を続けていましたが、必ずしもすぐに「これだ!」という明確な道筋が見えていたわけではありません。むしろ、「どの方向に進むべきか、まだ決められない」「今はまだ行動に移す時ではないかもしれない」と感じながら、情報収集や自己研鑽を続け、来るべきタイミングに備えていた時期が長かったように思います。
これは、見方によっては「優柔不断」「行動力がない」と捉えられるかもしれません。しかし、今振り返ると、この「すぐに結論を出さずに、多様な選択肢を持ち続け、状況を見極める」という姿勢こそが、ネガティブ・ケイパビリティの一つの現れであり、変化の激しい医療業界で自分自身のキャリアを柔軟に構築していく上で、非常に重要なプロセスだったと感じています。
3. ネガティブ・ケイパビリティのメリット:「待つ」ことで得られるもの
では、ネガティブ・ケイパビリティを発揮し、「待つ」ことを選択することで、具体的にどのようなメリットが得られるのでしょうか。
- より質の高い意思決定: 急いで結論を出すと、情報不足や偏った視点から誤った判断をしてしまうリスクがあります。時間をかけて情報を収集し、多角的に検討することで、より本質的で、後悔の少ない意思決定が可能になります。
- 創造性の醸成: 答えがすぐに見つからない曖昧な状態は、新たな視点やアイデアが生まれる余地を与えてくれます。既存の枠組みにとらわれず、自由な発想を育むことができます。
- 精神的な余裕とストレス軽減: 「すぐに解決しなければならない」というプレッシャーから解放されることで、精神的な余裕が生まれます。問題と適切な距離を置くことで、冷静に状況を分析し、より建設的なアプローチを見つけやすくなります。
- タイミングの見極め: 物事には、行動を起こすのに最適な「タイミング」があります。焦らずに状況の変化を見守ることで、その機が熟すのを待ち、より効果的に行動を起こすことができます。
- リソースの適切な配分: 急な決定は、短期間に多くのタスクを集中させ、無理が生じる可能性があります。解決を急がないことで、時間的にも精神的にもリソースを分散させ、持続可能な取り組みが可能になります。私自身、過去に複数の資格試験を同時に受けようとして、結果的に一つしか合格できなかったという苦い経験がありますが、これも「急ぎすぎた」結果かもしれません。
4. ポジティブ・ケイパビリティとのバランス
もちろん、ネガティブ・ケイパビリティだけが重要というわけではありません。迅速な判断と行動が求められる場面では、ポジティブ・ケイパビリティが不可欠です。大切なのは、状況に応じて両者を使い分ける、あるいはバランスを取ることです。
- 緊急性の高い問題や、答えが比較的明確な場合: ポジティブ・ケイパビリティを発揮し、迅速に意思決定し行動に移す。
- 複雑で答えが一つではない問題や、長期的な視点が必要な場合: ネガティブ・ケイパビリティを意識し、焦らずじっくりと情報を集め、多角的に検討し、最適なタイミングを待つ。
このバランス感覚を養うことが、VUCAの時代を賢く生き抜くための鍵となるでしょう。
5. 日常生活でネガティブ・ケイパビリティを育むヒント
ネガティブ・ケイパビリティは、意識することで少しずつ育んでいくことができます。
- 「保留する」ことを恐れない: すぐに答えが出ない問題に対して、「今は保留にしておこう」「もう少し情報を集めてから考えよう」と意識的に判断する。
- 多様な視点に触れる: 自分とは異なる意見や価値観に積極的に触れ、物事を多角的に見る習慣をつける。
- 内省の時間を設ける: 日記を書いたり、瞑想をしたりするなど、自分自身と向き合い、思考を整理する時間を持つ。
- 「問い」を持ち続ける: すぐに答えを求めるのではなく、「なぜだろう?」「どうすればもっと良くなるだろう?」といった問いを持ち続けることで、思考が深まります。
- プロセスを楽しむ: 結果だけでなく、問題解決に至るまでのプロセスや、試行錯誤そのものを楽しむ姿勢を持つ。
まとめ:「答えのない時代」を生き抜くための「待つ力」
ネガティブ・ケイパビリティは、一見すると消極的な能力のように思えるかもしれません。しかし、変化が激しく、予測不可能な現代において、「不確実性と共にあり続ける力」「安易な結論に飛びつかない力」は、私たちに精神的な安定と、より本質的な問題解決への道筋を与えてくれます。
かつての私が、様々な可能性を模索しながらも、すぐには一つの道に絞らずに準備を続けたように、未来の選択肢を広げつつ、最適なタイミングを待つという姿勢は、長期的なキャリア形成や人生設計において非常に有効です。
焦らず、じっくりと。時には「待つ」という勇気を持つことが、あなたらしい未来を切り拓くための、最も賢明な一歩になるかもしれません。