「最近、呼吸がしんどくて…」「腰が痛くて立っているのがつらい」「前より歩きにくくなった気がする」
顔面肩甲上腕型筋ジストロフィー(FSHD)と向き合う中で、このような悩みを抱えていらっしゃる方はいませんか?
FSHDは進行性の筋疾患であり、根本的な治療法がまだ確立されていないため、不安を感じることも多いかもしれません。
しかし、リハビリテーションによって生活の質(QOL)を維持・向上できる可能性は十分にあります。
本日は、FSHDの患者さんに対する理学療法の一環として、体幹機能に着目したアプローチが呼吸の苦しさや腰痛、歩行の不安定さといった症状の改善に繋がったという、希望の光となるような日本の研究をご紹介します。
あるFSHD患者さんの3年間の軌跡:体幹へのアプローチがもたらした変化とは?
今回ご紹介するのは、2019年に日本の理学療法士である栗本尚樹氏らが発表した症例研究です。
この研究では、顔面肩甲上腕型筋ジストロフィー(FSHD)と診断された40代の女性に対し、3年間にわたる徒手理学療法を中心とした複合的な介入が行われました。
顔面肩甲上腕型筋ジストロフィー(FSHD)とは?
FSHDは、顔面筋、肩甲帯(肩まわり)、上腕の筋力低下と筋萎縮を主な特徴とする遺伝性の筋疾患です。
多くは20歳頃までに発症し、進行は比較的ゆっくりですが、症状の現れ方や重症度には個人差が大きいことが知られています。
この女性は、診断から長年、特に理学療法を受けることなく過ごしていましたが、40歳の時に日常生活での動作能力の維持などを目的に、週1回の外来理学療法を開始しました。
当時の主な悩みは、仰向けで寝た時の呼吸のしづらさ、そして立ったり歩いたりする時の腰や背中の痛みでした。
理学療法士は、彼女の姿勢や動作を詳細に評価しました。
その結果、胸の背骨(胸椎)が丸くなり、腰の背骨(腰椎)の反りが強くなっていること、そして歩行時には体幹が左右に揺れる「デュシェンヌ・トレンデレンブルグ現象(D-T現象)」が見られました。
D-T現象は、お尻の筋力低下などにより、歩行時に体を支える側の骨盤が下がり、反対側の骨盤が持ち上がる不安定な歩き方です。
そこで理学療法士は、これらの症状の根本には体幹機能の問題があると考え、姿勢の修正を目標とした体幹へのアプローチを開始しました。
具体的には、理学療法士が手を使って筋肉の緊張を和らげたり関節の動きを良くしたりする「徒手理学療法」に加え、自宅でも行える自主トレーニングの指導などを組み合わせました。
徒手理学療法とは?
理学療法士が手を用いて、関節の動きを改善したり、硬くなった筋肉や筋膜(筋肉を包む膜)を緩めたり、痛みを軽減したりする治療法です。ストレッチやマッサージ、関節モビライゼーションなど、様々な手技が含まれます。
論文解説でわかったこと:体幹へのアプローチがもたらした具体的な変化
3年間にわたる介入の結果、この女性にはどのような変化が見られたのでしょうか?
呼吸の悩みが驚くほど楽に!胸郭と呼吸パターンの改善
介入開始当初、仰向けでの呼吸困難感は、ご本人にとって非常につらい症状でした。痛みを0から10の数値で表すNRSという評価では「7.5」という高い値でした。
理学療法士は、胸郭(肋骨などで構成される、肺を覆うカゴ状の骨格)の動きの硬さや、呼吸を助ける筋肉のアンバランスが原因の一つと考えました。
そこで、仰向けで首や肩の筋肉(斜角筋、僧帽筋上部線維)のストレッチや筋膜リリースを行い、胸郭下部の動きを介助しながら、お腹を使った呼吸(腹式呼吸)のエクササイズを実施しました。
その結果、1ヶ月後には呼吸困難感がNRS「3」にまで軽減し、「楽になった」との感想が聞かれました。
そして3年後にはNRS「1」と、ほぼ消失するまでに改善しました。
さらに、呼吸機能の指標である肺活量も、介入開始時の2140mlから3年後には2770mlへと約600mlも増加していたのです。
これは、硬くなっていた胸郭周囲の筋肉がほぐれ、胸郭が動きやすくなったこと、そしてお腹の筋肉をうまく使って深く呼吸するパターンを学習できたことが、呼吸の改善に繋がったと考えられます。
つらかった腰痛が和らぎ、姿勢にも変化が!
立ったり歩いたりする時の腰背部痛も、開始時はNRS「8」と強いものでした。
理学療法士は、反り腰が強く、骨盤が前に傾いた姿勢(いわゆる「下部交差性症候群」のような筋のアンバランス状態)が、背中の筋肉に過度な負担をかけ、痛みを引き起こしていると考えました。
下部交差性症候群とは?
特定の筋肉が硬く短縮し、反対に特定の筋肉が弱く伸びてしまうアンバランスな状態を指します。
代表的なのは、股関節の前側の筋肉(腸腰筋など)や背中の筋肉(脊柱起立筋など)が硬くなり、お腹の筋肉(腹筋群)やお尻の筋肉(大殿筋など)が弱くなるパターンで、反り腰や骨盤前傾の原因となります。
介入としては、腰背部の筋肉の緊張を和らげるための筋膜リリース、股関節前側の腸腰筋のストレッチ、そしてお腹の深層筋(ローカル筋)を意識して引き込む運動などを呼吸と合わせて行いました。
さらに、自宅での自主トレーニングとして腹部の引き込み運動や腰背部のストレッチ、家事などでの立位活動量のコントロールも指導されました。
その結果、1年半後には腰背部痛はNRS「2.5」へと明らかに軽減し、3年後もその状態を維持できました。
介入前後で立っている姿勢を比較すると、介入前は腰が強く反った姿勢でしたが、介入後にはその反りが軽減しているのが分かります。
歩き方がスムーズに!不安定だった歩行が安定
歩行時のD-T現象も、介入によって改善が見られました。
介入開始時は10mを歩くのに11秒かかり、歩数は19歩でしたが、1年半後には8秒、16歩へと改善しました。
さらに、片足で立っていられる時間も、介入前は左足では0秒でしたが、3年後には8秒間立てるようになりました。
興味深いのは、お尻の筋肉(股関節外転筋)の筋力自体は、筋力テスト(MMT)では3年間を通して大きな変化が見られなかった点です(MMT2レベルで「やや不良」のまま)。 にもかかわらず歩行が改善したのはなぜでしょうか?
理学療法士は、股関節への直接的な筋力強化が難しい中でも、体幹、特にお腹の横側にある内腹斜筋などの働きが改善したことが、歩行時の骨盤の安定に繋がり、D-T現象の軽減に寄与したのではないかと考察しています。
内腹斜筋は、歩く時に脚を前に振り出す側(遊脚側)の骨盤が下に落ちないように支える重要な役割を担っています。
体幹が安定することで、結果的に脚の運びもスムーズになったと考えられます。
筋力は変わらなくても、機能は向上する!
この症例研究で特に注目すべきは、MMTで測定されるような個々の筋力に大きな変化がなくても、呼吸のしやすさ、痛みの軽減、歩行能力といった日常生活の機能が明らかに改善したという点です。
これは、単に個々の筋肉を鍛えるだけでなく、
- 筋肉同士の協調性(チームワーク)を高めること
- 正しい体の使い方や運動パターンを再学習すること
- 不良姿勢を修正し、一部の筋肉への負担を減らすこと がいかに重要かを示唆しています。
研究の限界と注意点
もちろん、この研究は一人の患者さんを対象とした「症例研究」であるため、この結果が全てのFSHD患者さんに当てはまるとは限りません。
また、どのような徒手療法をどのくらいの強さや頻度で行ったかといった詳細なプロトコルが限定的であること、D-T現象の評価が視認によるものであることなども限界として挙げられます。
しかし、進行性の筋疾患であるFSHDに対しても、専門家による適切な評価と、体幹機能に着目した多角的なアプローチによって、症状の進行を緩やかにし、QOLを改善できる可能性を示した貴重な報告と言えるでしょう。
専門家PTケイが提案:日常生活でできること
今回の研究結果は、FSHDと共に生きる多くの方々にとって、大きな勇気を与えてくれるのではないでしょうか。
理学療法士であり、心身健康科学のプロフェッショナルでもある私PTケイから、日常生活で少しでも快適に過ごすためのヒントをいくつかお伝えします。
自分の体と丁寧に向き合う時間を作る
FSHDの症状や進行の仕方は、本当に人それぞれです。
まずは、かかりつけの医師や理学療法士などの専門家によく相談し、ご自身の体の状態を正確に把握することが大切です。
今回の研究が示してくれたように、諦めずにできることはきっとあります。
体幹を意識した生活のヒント
- 呼吸を意識してみましょう: 普段何気なく行っている呼吸ですが、少し意識を向けるだけで変わることがあります。仰向けで楽な姿勢をとり、ゆっくりと鼻から息を吸い込み、お腹や胸の広がりを感じてみましょう。吐くときは口からゆっくりと、お腹が少しへこむのを感じてみてください。無理のない範囲で、深い呼吸を数回繰り返すだけでも、リラックス効果や胸郭の柔軟性維持に繋がるかもしれません。
- 「良い姿勢」を心がける: 長時間同じ姿勢でいることが多い方は、時々姿勢をチェックしてみましょう。座っているときは、骨盤を立てて背筋を軽く伸ばすイメージで。立っているときは、頭のてっぺんから糸で吊られているような感覚で、お腹に軽く力を入れてみましょう。今回の症例のように、職場の椅子や机の高さを調整することも有効な場合があります。
- 無理のない範囲での自主トレーニング: 専門家の指導のもと、ご自身に合った無理のない範囲での運動を取り入れることも考えてみましょう。今回の研究でも、腹部の引き込み運動やストレッチなどがホームプログラムとして指導されていました。 ただし、FSHDの場合、過度な運動は症状を悪化させる可能性もあるため、必ず専門家のアドバイスを受けてください。
- 日常生活動作の工夫: 体への負担を減らすために、日常生活の動作を見直してみるのも良いでしょう。例えば、重い物を持つときは体に近づけて持つ、高い場所の物を取る時は踏み台を使うなど、ちょっとした工夫が大切です。
心の健康も大切に
進行性の疾患と向き合うことは、身体的な負担だけでなく、精神的なストレスも伴うことがあります。
不安や悩みを一人で抱え込まず、家族や友人、医療従事者、あるいは患者会などで気持ちを共有することも、心の安定に繋がります。
まとめ:体幹からのアプローチが拓くFSHDリハビリの新たな可能性
今回の日本の症例研究は、顔面肩甲上腕型筋ジストロフィー(FSHD)という進行性の筋疾患であっても、体幹機能に着目した長期的な徒手理学療法と自主トレーニングを中心とした複合的な介入によって、
- 呼吸困難感の軽減
- 腰背部痛の改善
- 歩行能力(D-T現象の軽減、歩行速度・安定性の向上)の改善 といったQOLに関わる重要な機能の改善が期待できることを示しました。
筋力そのものの回復が難しい場合でも、姿勢や運動パターン、筋肉の協調性を見直すことで、今ある機能を最大限に活かし、症状を和らげることができる可能性があります。
大切なのは、諦めずに専門家とよく相談し、ご自身に合ったケアを見つけ、粘り強く続けていくことかもしれません。
この記事が、FSHDと向き合うあなたやご家族にとって、少しでも前向きな情報となれば幸いです。
参考文献
栗本尚樹, 浅田啓嗣. 顔面肩甲上腕型筋ジストロフィー症例に対する徒手理学療法. 徒手理学療法. 2019;19(1):9-13.
健康・医学関連情報の注意喚起
本記事は、顔面肩甲上腕型筋ジストロフィー(FSHD)に関する一般的な情報提供を目的としたものであり、特定の医学的アドバイスを提供するものではありません。 FSHDなどの診断や治療については、必ず医療従事者にご相談ください。