はじめに:なぜ理学療法士に人工股関節の知識が必要なのか?
臨床で大腿骨頸部骨折の患者さんを担当する機会は非常に多いですが、「人工関節って具体的にどういうもの?」「手術の違いがリハビリにどう影響するの?」といった疑問を抱いたことはありませんか?学校教育では詳細まで学ぶ機会が少ないこれらの知識は、質の高いリハビリテーションを提供する上で不可欠です。
この記事では、2018年にまとめた内容を基に、大腿骨頸部骨折の基本的な分類から、人工股関節の種類、素材、近年の技術動向、そしてそれらが理学療法にどう関わってくるのかを、2025年現在の視点からアップデートして詳しく解説します。
1. 大腿骨頸部骨折の分類:治療方針を左右する最初のステップ
大腿骨頸部骨折の分類は、治療法の選択や予後予測に直結するため、理学療法士も理解しておく必要があります。
Garden分類 (ガーデン分類)
最も一般的に用いられる分類の一つで、骨折部の転位(ずれ)の程度によって4つのステージに分けられます。
- Stage I: 不全骨折または外反嵌合骨折(非転位型)。比較的安定している。
- Stage II: 完全骨折だが転位なし(非転位型)。
- Stage III: 関節包内骨折で一部骨性連続性が残存するが、転位あり(転位型)。
- Stage IV: 関節包内骨折で完全に転位し、骨性連続性なし(転位型)。大腿骨頭への血流が途絶しやすく、骨頭壊死のリスクが高い。
臨床的には、Garden分類は検査者間の評価にばらつきが出やすいため、シンプルに「非転位型(Stage I, II)」と「転位型(Stage III, IV)」に大別して治療方針が検討されることも多いです。一般的に、非転位型では骨接合術(自分の骨を金属で固定する手術)、転位型では人工関節置換術が選択される傾向にあります。
stege | 1 | 2 | 3 | 4 |
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型 | 非転位型 | 非転位型 | 転位型 | 転位型 |
その他の分類
- Pauwels分類 (パウエルス分類): 骨折線の傾斜角度で分類し、骨折部の安定性や偽関節のリスクを評価します。角度が大きいほど不安定とされます。
2. 人工股関節置換術:種類と適応
大腿骨頸部骨折、特に転位型や高齢者の場合、人工股関節置換術が選択されることが多くなります。主に以下の2つの術式があります。
a. 人工骨頭置換術 (Bipolar Hip Arthroplasty: BHA または Hemiarthroplasty)
- 概要: 大腿骨の骨頭部分のみを人工物に置換し、臼蓋側は患者さん自身の軟骨を利用します。
- 適応: 主に高齢者で、活動性が比較的低い、認知機能の低下がある、あるいは全身状態から手術侵襲を少なくしたい場合に選択されやすいです。
- 特徴: 手術時間が比較的短く、侵襲も少ない傾向にあります。しかし、長期的に臼蓋側の軟骨が摩耗するリスク(臼蓋侵食)があります。
b. 人工股関節全置換術 (Total Hip Arthroplasty: THA)
- 概要: 大腿骨の骨頭と臼蓋の両方を人工物に置換します。
- 適応: 比較的若年で活動性が高い、臼蓋側にもともと変形性関節症がある、あるいはBHAでは長期的な成績が期待しにくいと考えられる場合に選択されます。
- 特徴: BHAに比べて手術侵襲はやや大きくなる可能性がありますが、長期的な疼痛改善や機能回復が期待できます。
3. 人工関節のコンポーネントと素材の進化
人工関節は、いくつかの部品(コンポーネント)から構成されています。
- ステム: 大腿骨の骨髄内に挿入される部分。
- 骨頭 (ヘッド): ステムの上に取り付けられ、関節の球の部分を形成。
- カップ (ソケット): THAの場合に臼蓋側に設置されるお椀状の部分。
- ライナー: THAの場合、カップの内側にはめ込まれ、骨頭と摺動(しゅうどう:滑り動くこと)する部分。
固定方法
- セメント固定: 骨セメントを用いてインプラントを骨に固定。早期からの荷重が可能ですが、長期的にセメントの劣化が起こる可能性も。
- セメントレス固定: インプラント表面の特殊加工により、自身の骨が直接インプラントに結合(オッセオインテグレーション)することを目指す。骨質が良い場合に適応。
摺動面の素材:摩耗との戦い
人工関節の長期成績を左右するのが、骨頭とライナー(または臼蓋)の間の「摺動面(しゅうどうめん)」の素材と摩耗です。摩耗によって生じる微細な粉(摩耗粉)は、炎症反応を引き起こし、サイトカインなどを介して骨溶解(骨が溶ける現象)を誘発し、結果として人工関節のゆるみの原因となります。
- 歴史的背景: 初期の人工関節では、金属製の骨頭とポリエチレン製のライナーが用いられましたが、ポリエチレンの摩耗が問題となりました。
- 現在の主流な組み合わせと特徴:
- メタル on 高架橋ポリエチレン (Metal on Highly Cross-linked Polyethylene: MoP/XLPE): 最も一般的に使用される組み合わせの一つ。骨頭が金属(コバルトクロム合金やステンレス鋼など)、ライナーが耐摩耗性を大幅に向上させた高架橋ポリエチレン。
- セラミック on 高架橋ポリエチレン (Ceramic on Highly Cross-linked Polyethylene: CoP/XLPE): 骨頭がセラミック(アルミナやジルコニアなど)。メタルアレルギーのリスクがなく、摩耗も少ない。
- セラミック on セラミック (Ceramic on Ceramic: CoC): 骨頭とライナーの両方がセラミック。最も摩耗が少ない組み合わせの一つですが、セラミック特有の破損(割れる)リスクやスクウィーキング(きしみ音)の可能性があります。
- メタル on メタル (Metal on Metal: MoM): かつて使用されましたが、金属イオンの溶出によるアレルギー反応や偽腫瘍形成のリスクが指摘され、近年は使用頻度が大幅に減少しています。
高架橋ポリエチレンの登場により、摩耗粉の問題は大きく改善されました。
4. 近年の手術技術の進歩
人工股関節置換術も日々進化しており、より低侵襲で安全、かつ正確な手術を目指した技術が開発されています。
- MIS (Minimally Invasive Surgery:最小侵襲手術): 皮膚切開を小さくし、筋肉へのダメージを最小限に抑えることで、術後の疼痛軽減や早期回復を目指すアプローチ。
- ナビゲーションシステム: 赤外線カメラやコンピューターを用いて、手術器具やインプラントの位置をリアルタイムに表示し、より正確な設置を支援するシステム。
- ロボティックアーム手術支援システム: 術前計画に基づいてロボットアームが骨切りなどを精密に行い、より再現性の高い手術を可能にします。
- ショートステム化: ステムの長さを短くすることで、大腿骨への侵襲を減らし、骨温存を目指す。
- 骨頭径の増大: 骨頭の直径を大きくすることで、術後の脱臼リスクを低減する傾向があります。ただし、摺動面積が増えることによる摩擦の増加も考慮されます。
5. 理学療法士が知っておくべきこと:手術知識を臨床に活かす
これらの手術に関する知識は、医師だけでなく理学療法士にとっても非常に重要です。
- 術式・アプローチによる禁忌肢位の理解:
- 手術の侵入経路(前方、前側方、後方など)によって、術後に特に注意すべき脱臼しやすい肢位(禁忌肢位)が異なります。これを理解し、患者指導に活かす必要があります。
- 人工関節の特性と負荷管理:
- インプラントの種類や固定方法によって、術後の荷重開始時期や運動療法の進め方が変わることがあります。
- 特定の動作が人工関節にどのようなストレスを与えるかを理解し、過度な負荷を避ける指導が重要です。
- 合併症の予防と早期発見:
- 脱臼、感染、深部静脈血栓症(DVT)、肺血栓塞栓症(PTE)、神経麻痺、脚長差、インプラント周囲骨折など、術後合併症のリスクを理解し、予防的な関わりや早期発見に努める必要があります。
- 患者教育とADL指導:
- 患者さん自身が自分の身体の状態や人工関節について正しく理解し、日常生活での注意点を守れるように、分かりやすい言葉で指導することが求められます。
- 安全な床上動作、トイレ動作、入浴方法、階段昇降、自動車運転の再開時期など、具体的なADL指導を行います。
- 予後予測と目標設定:
- 患者さんの年齢、活動レベル、併存疾患、手術内容などを考慮し、現実的なリハビリテーションの目標を設定し、患者さんと共有することが重要です。
考察:知識は患者さんの安心と回復に繋がる
人工股関節置換術に関する知識は、一見すると医師の領域のように感じるかもしれません。しかし、手術方法や使用されるインプラントの特性を理解することは、私たち理学療法士がより安全で効果的なリハビリテーションを提供し、患者さんの不安を軽減し、より良い回復へと導くために不可欠です。
術後の患者さんから「この動きは大丈夫?」「いつから〇〇ができるようになる?」といった質問を受ける際、正確な知識に基づいて自信を持ってアドバイスできれば、患者さんとの信頼関係も深まります。日進月歩で進化する医療技術の知識をアップデートし続け、臨床に活かしていく姿勢が大切です。