「最近、なんだか息切れしやすくなった」「坂道や階段を上るのが以前よりつらい」。そんな風に感じることはありませんか?単に「歳をとったから仕方ない」と思っているその症状、もしかしたら「呼吸器サルコペニア」という、呼吸に関わる筋肉の衰えが関係しているかもしれません。
この記事では、まだあまり知られていない「呼吸器サルコペニア」や「サルコペニア性呼吸器障害」という新しい概念について、最新の研究に基づいて、プロのブロガーであり理学療法士でもあるPTケイが、わかりやすく解説します。ご自身の体と向き合うきっかけになれば幸いです。
「呼吸器サルコペニア」とは?新しい概念を理解する
2021年に国際的な医学雑誌「Journal of Cachexia, Sarcopenia and Muscle」で、日本の長野文昭氏らは、呼吸器のサルコペニアに関する包括的なレビュー論文を発表しました。この中で、加齢や様々な要因によって呼吸筋が衰える状態についての新しい考え方や診断基準、そして対策について提案しています。
論文解説でわかったこと:呼吸にも「サルコペニア」が起こる
サルコペニアという言葉を耳にしたことがある方もいるかもしれません。これは、主に加齢や病気によって全身の筋肉量が減少し、筋力が低下する状態を指します。これまで、手足の筋肉の衰えが注目されてきましたが、実は呼吸をするために働く筋肉(呼吸筋)にも同様の現象が起こりうることがわかってきました。
長野氏らの論文では、この呼吸筋のサルコペニアを「呼吸器サルコペニア」と定義しています。具体的には、全身のサルコペニアがあり、それに加えて呼吸筋の量が減少し、呼吸する力(呼吸筋力)が弱まったり、呼吸機能そのものが低下したりする状態を指します。
「Presbypnea(老衰性呼吸)」とは?
論文では、加齢に伴う生理的な呼吸機能の低下に対して「Presbypnea(プレズビプネア:老衰性呼吸)」という新しい用語を提唱しています。これは、ギリシャ語で「老いを意味する “presby-“」と「呼吸を意味する “-pnea”」を組み合わせた造語です。
Presbypneaは、病的な状態というよりは、加齢によって誰にでも起こりうる軽度の機能的な呼吸障害を指します。具体的には、「修正された医学研究評議会(Modified Medical Research Council: mMRC)スケール」のグレード1(「平坦な道を急いで歩く時や、ゆるやかな坂道を登る時に息切れを感じる」程度)が、Presbypneaの一つの指標とされています。このmMRCスケールについては後ほど詳しく説明します。
「サルコペニア性呼吸器障害」とは?
一方、呼吸器サルコペニアが進行し、より顕著な機能障害を伴う状態を「サルコペニア性呼吸器障害」と定義しています。これは、呼吸器サルコペニアが原因で、日常生活における活動が制限されるほどの呼吸機能の低下が見られる状態を指します。
具体的には、mMRCスケールでグレード2以上(例えば、「息切れのために、平坦な道でも同年代の人より歩くのが遅い。または、自分のペースで平坦な道を歩いていても、息切れのために立ち止まることがある」状態)が診断の目安となります。
重要なのは、このサルコペニア性呼吸器障害の診断プロセスです。 まず呼吸器サルコペニアの有無を評価します。
- 呼吸器サルコペニアがあり、かつmMRCグレード2以上の機能障害がある場合に「サルコペニア性呼吸器障害」と診断されます。
- 呼吸器サルコペニアはあるものの、mMRCグレードが0または1で明らかな機能障害がない場合は、「サルコペニア性呼吸器障害のリスクがある」状態と診断されます。これは、放置すると悪循環によって症状が進行する可能性があるため、注意が必要な状態です。
- 高齢者の場合、前述のPresbypneaがサルコペニア性呼吸器障害の一因となることも考えられます。
- もし呼吸器サルコペニアがないにも関わらず呼吸に関する機能障害がある場合は、COPDや間質性肺炎など、他の呼吸器疾患が原因である可能性を探る必要があります。
ただし、神経筋疾患(例:筋萎縮性側索硬化症など)による呼吸困難や、既存の呼吸器疾患が急激に悪化した場合の呼吸困難は、このサルコペニア性呼吸器障害の定義には通常含まれません。しかし例外として、急性呼吸不全などで人工呼吸器管理を受けた後、横隔膜の萎縮などにより人工呼吸器からの離脱が困難になるケースは、サルコペニア性呼吸器障害の基準に合致すると考えられています。
呼吸器サルコペニアの原因 呼吸器サルコペニアは、主に以下のような要因が複雑に絡み合って起こると考えられています。
- 加齢: 年齢とともに自然と筋肉は衰えていきます。
- 活動量の低下: 運動不足は筋力低下の大きな原因です。
- 栄養不良: タンパク質など、筋肉を作るための栄養が不足すると筋肉は作られにくくなります。
- 疾患:
- 炎症性疾患: 肺炎やCOPD(慢性閉塞性肺疾患)などの病気は、炎症を引き起こし筋肉の分解を進めます。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)でも同様の現象が起こる可能性が指摘されています。
- 悪液質(カヘキシア): がんなどの消耗性疾患では、体全体の栄養状態が悪化し、筋肉が著しく減少します。
- 医原性: 長期間の人工呼吸器の使用など、医療的な要因で呼吸筋が使われずに衰えることもあります。
呼吸器サルコペニアはどうやって診断されるの?
長野氏らは、呼吸器サルコペニアを診断するための具体的なアルゴリズム(診断手順)を提案しています。これはまだ研究段階であり、今後の検証が必要とされていますが、以下のような流れで診断を進めることが考えられています。
診断アルゴリズムのステップ
- 全身のサルコペニアの評価: まず、全身のサルコペニアがあるかどうかを評価します。これには、国際的な診断基準(例えば、ヨーロッパのEWGSOPやアジアのAWGSの基準)が用いられ、握力の低下、骨格筋量の減少、身体機能の低下(歩行速度など)から判断されます。
- 呼吸器関連の評価(全身サルコペニアがある場合): 全身のサルコペニアが確認された場合、次に以下の項目を評価します。
- 呼吸筋量の減少: CT検査や超音波検査を用いて、横隔膜などの呼吸筋の厚みや断面積を測定し、筋肉量が減少していないか評価します。
- 呼吸筋力の低下: 最大吸気圧(MIP)や最大呼気圧(MEP)を測定します。MIPは息を最大限吸い込む力を示し、論文ではカットオフ値としてMIPが80cmH₂O未満(または日本の性別・年齢別予測式に基づく基準値と比較)などが参考にされています。
- 呼吸機能の低下: スパイロメトリー検査で努力性肺活量(FVC)などを測定し、肺の基本的な機能が低下していないか評価します。これも日本の基準値と比較されます。
- 呼吸器サルコペニアの診断分類: 上記の評価結果と、他の明らかな呼吸器疾患(肺がん、肺水腫、気管支拡張症、横隔膜麻痺、神経筋疾患、先天奇形など)の有無を考慮して、以下のように分類されます。
- 確定診断(Definite Respiratory Sarcopenia): 全身サルコペニアがあり、かつ呼吸筋量の減少が確認され、さらに呼吸筋力の低下または呼吸機能の低下があり、これらの原因となる他の明らかな疾患が除外された場合に診断されます。
- 可能性が高い(Probable Respiratory Sarcopenia): 呼吸筋量の測定が行われていないものの、全身サルコペニアがあり、呼吸筋力低下または呼吸機能低下など他の基準を満たす場合に診断されます。臨床現場では呼吸筋量の直接測定が難しい場合があるため、この分類が用いられます。
- 可能性がある(Possible Respiratory Sarcopenia): COPDなどの既存の呼吸器疾患があり、全身サルコペニアや呼吸筋量低下も見られるものの、呼吸機能低下が元の疾患によるものか、呼吸筋のサルコペニアによるものかを明確に区別することが難しい場合に診断されます。
この診断アルゴリズムやカットオフ値は、現時点ではエビデンスがまだ十分ではなく、今後のさらなる研究による検証が重要であると論文でも述べられています。
呼吸困難の程度を評価する「修正MRCスケール」
診断の過程や、サルコペニア性呼吸器障害の判断に用いられるのが「修正された医学研究評議会(mMRC)スケール」です。これは、呼吸困難の程度を日常生活の活動と関連付けて評価するもので、世界的に標準化されています。グレードは0から4までの5段階です。
- グレード0: 激しい運動をした時以外は息切れを感じない。
- グレード1: 平坦な道を急いで歩く時や、ゆるやかな坂道を登る時に息切れを感じる。
- Presbypnea(老衰性呼吸)の指標とされます。
- グレード2: 息切れのため、平坦な道でも同年代の人より歩くのが遅い。または、自分のペースで平坦な道を歩いていても、息切れのために立ち止まることがある。
- これ以上のグレードで、呼吸器サルコペニアが原因の場合、サルコペニア性呼吸器障害と診断されます。
- グレード3: 平坦な道を約100m歩いた後、または数分間歩いた後に息切れのために立ち止まる。
- グレード4: 息苦しくて家から出られない。または、衣服の着脱のような日常的な動作でも息切れがする。
ご自身の息切れの程度がどのグレードに当てはまるかを知ることは、状態を把握する上で役立ちます。
呼吸筋の衰えが引き起こす影響と悪循環
呼吸筋は、私たちが無意識に行っている「呼吸」という生命維持に不可欠な活動を支えています。この呼吸筋が衰えると、どのような影響があるのでしょうか。
全身の健康との深いつながり
論文では、呼吸筋の力や呼吸機能が、全身の筋肉量や筋力、さらには身体機能とも密接に関連していることが示されています。
- 握力と呼吸筋力: 高齢者において、手の握力が強いほど、最大吸気圧(MIP)や最大呼気圧(MEP)も高い傾向にあることが報告されています。
- 歩行能力と呼吸機能: 歩行速度が遅い人や、椅子からの立ち上がりに時間がかかる人は、肺活量や息を吐き出す力(ピーク呼気流量)が低い傾向が見られます。
- サルコペニア・フレイルと呼吸機能: 全身のサルコペニアやフレイル(虚弱)があると診断された高齢者は、そうでない人に比べて呼吸筋力が弱く、横隔膜も薄いことがわかっています。
これらのことから、呼吸筋の衰えは単に呼吸だけの問題ではなく、全身の体力低下や活動性の低下にもつながる可能性が示唆されます。
疾患との関連と炎症の役割
特定の病気は、呼吸器サルコペニアを進行させる大きな要因となります。
- COPD(慢性閉塞性肺疾患): 慢性的な炎症により、呼吸筋だけでなく全身の筋肉も衰えやすい状態になります。
- 誤嚥性肺炎: 誤嚥によって引き起こされる肺炎は、急性の炎症反応を通じて、嚥下に関わる筋肉だけでなく呼吸筋の萎縮も引き起こす可能性があります。
- がん(悪液質): がんによる悪液質状態では、著しい体重減少とともに呼吸筋も消耗します。
- 感染症(COVID-19など): ウイルスや細菌による感染症は、炎症性サイトカイン(TNF-α、IL-6など、炎症を引き起こす物質)の産生を高め、これが骨格筋の分解を促進し、呼吸筋にも影響を与える可能性があります。
特に、炎症は呼吸筋の機能低下に深く関わっています。炎症が起こると、筋肉のタンパク質分解が進みやすくなり、筋肉の萎縮や筋力低下を引き起こします。
医原性の影響:人工呼吸器と呼吸筋
長期間にわたる人工呼吸器の使用も、呼吸筋に影響を与えることが指摘されています。「人工呼吸器誘発性横隔膜機能障害」という言葉もあり、人工呼吸器によって横隔膜が動かされない状態が続くと、横隔膜の萎縮や筋力低下が起こることが報告されています。これは、使わない筋肉が衰える「廃用性萎縮」の一種と考えられます。
負のスパイラル:「呼吸器サルコペニアの悪循環」
長野氏らの論文では、呼吸器サルコペニアがさらなる悪化を招く「悪循環」のメカニズムが図で示されています。
- 始まり: 加齢、活動量の低下、栄養不足、病気(炎症)などが原因で、全身のサルコペニアや呼吸器サルコペニアが起こります。
- 悪化: 呼吸器サルコペニアが起こると、息切れしやすくなるため、ますます活動量が低下します。また、食欲不振から栄養状態が悪化したり、炎症が持続したりすることもあります。
- 進行: これらの要因(活動低下、栄養不足、炎症)が、さらに呼吸器サルコペニアを悪化させ、呼吸機能の低下が進み、「サルコペニア性呼吸器障害」へと移行します。
- さらなる悪循環: サルコペニア性呼吸器障害による著しい息切れは、呼吸器感染症のリスクを高め、さらなる食欲低下や活動量の低下を招き、悪循環が強化されてしまいます。
この悪循環を断ち切ることが、呼吸器サルコペニアの進行を防ぎ、改善するために非常に重要です。
呼吸器サルコペニアに立ち向かう!「リハビリテーション栄養」とは
では、この呼吸器サルコペニアやサルコペニア性呼吸器障害に対して、どのような対策が考えられるのでしょうか。論文では、「リハビリテーション栄養」という、運動療法と栄養療法を組み合わせたアプローチが有効である可能性を提案しています。
これは、まだ呼吸器サルコペニアに特化した研究は少ないものの、サルコペニアの高齢者や呼吸器疾患を持つ患者さんを対象としたこれまでの研究結果に基づいています。
運動療法の可能性
適切な運動は、呼吸筋を含む全身の筋力を高め、身体機能を維持・向上させるために不可欠です。
- 呼吸筋トレーニング:
- 吸気筋トレーニング: 専用の器具を使って、息を吸い込む筋肉に抵抗をかけて鍛えるトレーニングです。COPD患者さんでは息切れの改善や運動能力の向上、サルコペニアの高齢者では全身の筋力向上にも効果が報告されています。新型コロナウイルス感染症後の患者さんでも、呼吸機能の改善が見られたという報告があります。
- 下肢筋力トレーニング:
- スクワットや椅子からの立ち座り運動などが代表的です。COPD患者さんでは、太ももの筋肉の持久力向上や息切れの軽減、サルコペニアの高齢者では握力や歩行能力の改善が期待できます。
- 全身のレジスタンストレーニング(筋力トレーニング):
- 腕や足、体幹など、全身の筋肉をバランスよく鍛えるトレーニングです。COPD患者さんでは運動能力や筋力の向上、サルコペニアの高齢者では筋肉量の増加や炎症マーカーの低下が報告されています。
- 有酸素運動とレジスタンストレーニングの組み合わせ:
- ウォーキングなどの有酸素運動と筋力トレーニングを組み合わせることで、肺移植を待つ患者さんの運動能力向上や、COPD患者さんの筋肉量増加、筋力向上に効果があったとされています。
これらの運動療法は、専門家の指導のもと、個人の状態に合わせて行うことが重要です。
栄養療法の重要性
筋肉を作るためには、適切な栄養摂取が欠かせません。特にタンパク質は筋肉の主成分であり、十分な量を摂取することが重要です。
- 栄養補給:
- 安定期のCOPD患者さんでは、栄養補助食品の利用により、筋肉量の増加や運動能力の改善、呼吸筋力の向上が見られたという研究があります。
- 肺がん患者さんでは、経口栄養補助食品の摂取が活動量や全身状態の改善につながったと報告されています。
- サルコペニアの高齢者においても、栄養介入によって歩行速度や息を吐き出す力の改善が見られた例があります。
バランスの取れた食事を基本とし、必要に応じて栄養補助食品などを活用することも有効です。
最も期待される「リハビリテーション栄養」
運動療法と栄養療法は、それぞれ単独でも効果が期待できますが、これらを組み合わせた「リハビリテーション栄養」こそが、呼吸器サルコペニアの悪循環を断ち切り、症状を改善するための鍵となると考えられています。
実際に、高強度の運動トレーニングと栄養補給を組み合わせた介入により、骨格筋量、筋力、運動持久力、そして吸気筋力が改善したという報告や、呼吸リハビリテーション中の栄養補給が筋力や呼吸筋機能の改善に寄与したという研究結果も示されています。
リハビリテーション栄養は、個々の患者さんの状態を総合的に評価し(国際機能分類-ICFの考え方などを活用)、栄養障害やサルコペニアの原因を特定した上で、適切な栄養管理と積極的なリハビリテーションを計画的に行うアプローチです。
まだ呼吸器サルコペニアやサルコペニア性呼吸器障害に対するリハビリテーション栄養の有効性を検証する研究はこれからですが、サルコペニアの診療ガイドラインでも、定期的な運動と適切な栄養摂取の組み合わせが推奨されており、大きな期待が寄せられています。
まとめ:息切れのサインを見逃さず、早めの対策を
今回は、「呼吸器サルコペニア」と「サルコペニア性呼吸器障害」という新しい概念について、長野文昭氏らの論文をもとに解説しました。
- Presbypnea(老衰性呼吸)は、加齢に伴う軽微な呼吸機能低下(mMRCグレード1程度)です。
- 呼吸器サルコペニアは、全身のサルコペニアに加えて呼吸筋が衰える状態で、詳細な診断アルゴリズムが提案されています。
- サルコペニア性呼吸器障害は、呼吸器サルコペニアが原因で日常生活に支障が出るほどの呼吸困難(mMRCグレード2以上)を伴う状態です。機能障害がない場合でも「リスクあり」と判断されることがあります。
- 原因は加齢、活動低下、栄養不良、病気(炎症)、医原性など多岐にわたります。
- 呼吸困難の程度は修正MRCスケール(グレード0~4)で評価されます。
- リハビリテーション栄養(運動と栄養の組み合わせ)が、予防と治療の鍵となる可能性が示唆されています。
「年のせい」と片付けていた息切れや体力の低下も、実は呼吸筋の衰えが関係しているかもしれません。この記事を読んで、少しでも思い当たる点があった方は、かかりつけ医や呼吸器専門医、リハビリテーション科の医師などに相談してみることをお勧めします。
早期に気づき、適切な対策を行うことで、呼吸器サルコペニアの進行を遅らせ、より健康で活動的な生活を送ることが期待できます。
参考文献
Nagano A, Wakabayashi H, Maeda K, et al. Respiratory sarcopenia and sarcopenic respiratory disability: concepts, diagnosis, and treatment. J Cachexia Sarcopenia Muscle. 2021. doi: 10.1007/s12603-021-1587-5.
健康・医学関連情報の注意喚起
本記事は、呼吸器の健康に関する一般的な情報提供を目的としたものであり、特定の医学的アドバイスを提供するものではありません。 呼吸器サルコペニア、サルコペニア性呼吸器障害、Presbypneaなどの診断や治療については、必ず医療従事者にご相談ください。