「この患者さん、SPPBは満点だけど、実際の歩行は不安定なんだよな…」
「介入の効果を示したいのに、評価指標が天井に張り付いて変化を捉えきれない」
「将来の転倒や要介護リスクを、もっと説得力をもって患者さんやご家族に説明したい」
こんにちは。理学療法士のPTケイです。 臨床現場で、このようなジレンマを感じたことはありませんか?私自身も、難病や精神疾患を抱えながら理学療法士として働く中で、評価指標の限界と、それによって患者様の持つ潜在的なリスクを見過ごしてしまうことの怖さを常に感じています。
特に、地域在住の比較的活動的な高齢者を担当する際、世界的に広く用いられているSPPB (Short Physical Performance Battery)の「天井効果」は、多くの理学療法士が直面する大きな壁ではないでしょうか。
評価上は「満点」でも、私たちの臨床的な目(clinical eye)では明らかな機能低下や不安定性を捉えている。このギャップを、どのように埋めればよいのか。
この記事では、そんな臨床現場の悩みに一つの答えを提示してくれる、2017年に日本の国立長寿医療研究センターから発表された画期的な研究論文を基に、以下の点を深掘りしていきます。
- SPPBの「天井効果」が臨床上もたらす具体的な問題点
- 日本の高齢者の実態に合わせて開発された新指標「SPPB-com」の詳細な解説
- 明日からの臨床評価、患者説明、目標設定に使える具体的なデータと活用法
- SPPB-comのスコア改善に繋がる、私たちが指導すべき運動療法のポイント
エビデンスに基づいた理学療法(EBPT)の実践が求められる今、この「SPPB-com」という新しい武器は、私たちの日々の臨床をより質の高いものに変えてくれる可能性を秘めています。若手のセラピストから経験豊富な先生方、そしてこれから臨床に出る学生さんまで、ぜひ最後までお付き合いいただき、ご自身の臨床に役立ててください。
まずは、SPPBとSPPBの評価指標について確認
従来のSPPB(Short Physical Performance Battery)
従来のSPPBは、合計12点満点で下肢機能を評価します。3つのテスト項目それぞれが0〜4点で採点されます。
① バランス能力テスト(最大4点)
3段階の難易度の異なる立位姿勢をそれぞれ10秒間保持できるかを評価します。途中で失敗した場合は、そこでテストを終了します。
課題 (各10秒保持) | 総合得点 |
サイドバイサイド立位が10秒できない | 0点 |
サイドバイサイド立位はできるが、セミタンデム立位が10秒できない | 1点 |
セミタンデム立位は10秒できるが、タンデム立位が3秒未満しかできない | 2点 |
タンデム立位が3秒以上9.99秒以下できる | 3点 |
タンデム立位が10秒できる | 4点 |
- サイドバイサイド立位: 両足の内側をくっつけて立つ=閉脚立位
- セミタンデム立位: 片方の足のかかとの内側に、もう片方の足の親指を接して立つ
- タンデム立位: 片方の足のかかとに、もう片方の足のつま先を接して一直線に立つ
② 椅子立ち座りテスト(最大4点)
腕を胸の前で組んだ状態で、椅子から5回連続で立ち座りする時間を計測します。
5回立ち座りの時間 | 得点 |
60秒以上かかる、または実施できない | 0点 |
16.70秒 以上 | 1点 |
13.70秒 ~ 16.69秒 | 2点 |
11.20秒 ~ 13.69秒 | 3点 |
11.19秒 以下 | 4点 |
③ 歩行速度テスト(最大4点)
通常歩行の速度を計測します。一般的に4mの距離を用います。
4m歩行にかかる時間(速度換算) | 得点 |
実施できない | 0点 |
8.70秒 より長くかかる(0.43m/s以下) | 1点 |
6.21秒 ~ 8.70秒(0.44~0.6m/s) | 2点 |
4.82秒 ~ 6.20秒(0.61~0.77m/s) | 3点 |
4.82秒 未満(0.78m/s以上) | 4点 |
修正版 SPPB-com(Community-based Score)
SPPB-comは、日本の元気な高齢者における天井効果(多くの人が満点を取ってしまう問題)を解消するために、採点基準を日本の研究データ(4,328人の実測値の四分位)に基づいて調整したものです。合計10点満点となります。
① バランス能力テスト(最大2点)
評価を簡略化し、最も難易度の高いタンデム立位のみで評価します。
タンデム立位の保持時間 | 得点 |
実施できない | 0点 |
0.01秒 ~ 9.99秒 | 1点 |
10秒 以上 | 2点 |
② 椅子立ち座りテスト(最大4点)
採点基準が、従来のSPPBより厳しくなっています。
5回立ち座りの時間 | 得点 |
実施できない | 0点 |
10.3秒 以上 | 1点 |
8.7秒 ~ 10.2秒 | 2点 |
7.3秒 ~ 8.6秒 | 3点 |
7.2秒 以下 | 4点 |
③ 歩行速度テスト(最大4点)
同様に、採点基準が厳しくなっています。(歩行速度 m/s での基準)
歩行速度 | 得点 |
実施できない | 0点 |
1.10 m/s以下 | 1点 |
1.11 m/s ~ 1.24 m/s | 2点 |
1.25 m/s ~ 1.36 m/s | 3点 |
1.37 m/s 以上 | 4点 |
主な違いのまとめ
- 満点: SPPBは12点、SPPB-comは10点。
- バランス評価: SPPB-comはタンデム立位のみの2点満点に簡略化。
- 採点基準: SPPB-comは日本の元気な高齢者のデータを基にしているため、特に歩行と椅子立ち座りの高得点の基準が厳しい。
このSPPB-comを用いることで、従来のSPPBでは評価しきれなかった、活動的な高齢者間のわずかな能力差をより詳細に捉えることが可能になります。
日本の研究データが示す、SPPB-com導入の3つの臨床的意義
今回深く読み解くのは、理学療法学の学術誌に掲載された、非常に信頼性の高い研究です。
【論文紹介】 2017年に日本で発表されたこの研究は、国立長寿医療研究センターなどが中心となり、4,328名もの地域在住高齢者を2年間追跡した大規模コホート研究です。従来のSPPBが持つ「天井効果」という課題を、日本の高齢者の実測値に基づいて再スコアリングした新指標「SPPB-com」を開発。この新指標が、将来の要支援・要介護発生というアウトカムに対して優れた予測妥当性を持つことを明らかにしました。 (Makizako H, et al. Rigakuryoho Kagaku. 2017)
この研究結果から、私たちが臨床に「SPPB-com」を導入すべき3つの大きな意義が見えてきます。
意義①:臨床判断の「ものさし」を適正化する ― 天井効果からの脱却
私たち理学療法士にとって、評価指標は患者様の状態を客観的に捉え、介入効果を測定するための「ものさし」です。しかし、そのものさしの目盛りが粗すぎたらどうなるでしょうか。
78.7%が満点という現実
従来のSPPBは、特に海外の虚弱高齢者をベースに開発された経緯もあり、日本の元気な高齢者にとっては基準が易しすぎました。今回の研究でも、対象者の78.7%、つまり約8割が満点(12点)という結果でした。
これは臨床上、何を意味するでしょうか? それは、満点という一つのカテゴリーの中に、下肢機能レベルが全く異なる人々が混在してしまっているということです。ギリギリ満点のAさんと、余裕で満点のBさん。私たちの目にはその差が映っていても、従来のSPPBでは同じ「12点」となり、量的変化として記録できません。これでは、軽微な機能低下の早期発見や、予防的介入の効果判定は困難です。
SPPB-comによる層別化の実現
一方で、研究チームが開発したSPPB-com(0〜10点満点)で再評価したところ、満点だったのはわずか10.5%でした。従来のSPPBでは「満点」と一括りにされていた集団が、SPPB-comでは10点から1点まで幅広く分布し、より詳細に層別化(リスク・ストラティフィケーション)できたのです。
この「ものさしの解像度が上がった」事実は、私たちの臨床判断に大きなメリットをもたらします。
- 機能低下の早期発見: 「前回よりSPPB-comが1点下がった」という客観的データで、軽微な変化を捉えられる。
- 介入効果の可視化: 維持期や予防領域のリハビリで、「満点維持」ではなく「SPPB-com 8点から9点へ改善」といった具体的な成果を示せる。
- 他職種への説明責任: なぜ介入が必要なのかを、客観的な数値の変動を用いて論理的に説明できる。
この天井効果の問題を視覚的に理解するために、以下のグラフを操作してみてください。従来の評価法がいかに多くの対象者を「満点」というブラックボックスに閉じ込めていたか、一目瞭然です。
【使い方】
下のボタンをクリックすると、従来の評価法(SPPB)と新しい評価法(SPPB-com)それぞれの満点者の割合を示したグラフが切り替わります。
意義②:予測妥当性に基づく強力な患者教育ツールの獲得
SPPB-comの真価は、単に機能レベルを細かく評価できる点に留まりません。そのスコアが、将来の要支援・要介護発生リスクと直結しているという強力な予測妥当性にあります。
用語解説:予測妥当性(よそくだとうせい) ある評価(テスト)の結果が、将来の出来事(アウトカム)をどれだけ正確に予測できるかの度合い。予測妥当性が高い評価は、臨床において予後予測やリスク管理に非常に有用です。
研究では、SPPB-comのスコア別に2年後の要介護発生率を比較した結果、衝撃的な差が示されました。
- 高得点群(8〜10点): 要介護発生率 1.2%
- 中得点群(5〜7点): 要介護発生率 3.5%
- 低得点群(4点以下): 要介護発生率 12.8%
低得点群のリスクは、高得点群の10倍以上です。このデータは、私たちが患者様やご家族にリハビリの必要性を説明する際の、極めて強力な武器となります。
「今はまだ大丈夫」と考えている患者様に対し、「この研究データによると、現在の体力スコアですと、2年後には10人に1人以上が要介護状態になるという結果が出ています。そうならないために、今から一緒に頑張りませんか?」と、客観的データに基づいて介入の必要性を伝えることができるのです。
【臨床活用ツール】SPPB&SPPB-comスコア&要介護リスク計算機
この強力なデータを、ぜひ明日からの患者教育にご活用ください。以下の計算機を使えば、測定したパフォーマンスタイムからSPPB-comのスコアを算出し、論文に基づいたリスクをその場で提示できます。
(※安全に配慮し、理学療法士の監督下で測定してください)
SPPB & SPPB-com スコア・リスク計算機
患者様の能力に合わせて安全な環境で測定してください。
歩いた距離と時間を入力してください。
距離 (m): 時間 (秒):※従来のSPPBスコアを算出する場合、距離は4mで測定した時間を入力してください。
5回立ち座りにかかった時間を入力してください。
時間 (秒):つぎ足立ち(タンデム立位)を何秒続けられるか入力してください。
タンデム立位の保持時間 (秒):意義③:理学療法士の専門性を明確にする独立した評価指標
臨床でよくある議論として、「その機能低下は、単に年齢や認知機能の影響ではないか?」というものがあります。しかしこの研究は、その問いにも明確な答えを出しています。
Cox比例ハザード回帰分析の結果、SPPB-comは年齢、性別、認知機能(MMSE)といった強力な交絡因子を調整した後でも、独立した有意な予測因子として抽出されました。
用語解説:独立した予測因子 他の要因(例:年齢)の影響を取り除いてもなお、結果(例:要介護発生)を予測する力を持つ変数のこと。これは、その変数が他の要因とは異なる、独自の重要な側面(構成概念)を捉えていることを意味します。
この事実は、私たち理学療法士にとって極めて重要です。なぜなら、私たちが専門的にアプローチする「下肢機能」という構成概念が、年齢や認知機能とは独立して、患者様の生命予後ならぬ「生活予後」を左右する決定的な要因であることを科学的に裏付けているからです。
さらに、SPPB-comのスコアが1点高くなるごとに、要介護発生のハザード比が0.77になる(リスクが23%減少する)という結果は、私たちの介入の価値を量的に示す強力なエビデンスとなります。短期ゴールとして「SPPB-comを1点上げる」と設定することは、単なる機能改善だけでなく、将来のリスクを23%低減させるという、非常に価値のある目標なのです。
臨床での実践へ:SPPB-comのスコアを改善するための運動療法指導のポイント
では、このSPPB-comのスコアを改善するために、私たちは患者様にどのような指導をすべきでしょうか。3つのテスト項目それぞれに対応した運動療法の指導ポイントを、理学療法士の視点で整理します。
1. 歩行速度の改善指導
- キーポイント: 歩行速度=歩幅(ストライド) × 歩調(ピッチ)。多くの場合、歩幅の減少が速度低下の主因。
- 指導内容:
- 意識的な大股歩行: 「いつもの歩幅より靴一足分、前に出すように歩きましょう」と具体的に指示。床のタイルなどを目印にすると視覚的フィードバックとして有効。
- 股関節伸展の促通: 少し難易度が高いですが、T-Stance(前屈+片脚立位+対側下肢伸展)からの前方リーチなど、立脚後期の股関節伸展を意識させる運動を導入。これにより、前方への推進力が増大する。
- 環境設定: 屋外歩行だけでなく、院内の長い廊下やトレッドミルも活用。一定のペースで歩く練習はピッチの改善に繋がる。
2. 椅子立ち座り能力の改善指導
- キーポイント: 主動作筋である大腿四頭筋と大殿筋の筋力およびパワーの向上。
- 指導内容:
- 制御された立ち座り動作: 「5秒かけて座り、5秒かけて立つ」といったスロートレーニングを指導。遠心性収縮を意識させ、筋力強化と運動学習を同時に図る。
- 段階的な負荷調整: まずは肘掛け付きの椅子から始め、徐々に肘掛けなしへ。さらに椅子の高さを低くしたり、重りを抱えたりすることで負荷を漸増させる(過負荷の原則)。
- 動作分析: 立ち上がり時の体幹前傾角度やタイミング、膝の外反(Knee-in)などを評価し、個別の問題点に対する修正的アプローチを行う。
3. バランス能力の改善指導
- キーポイント: 足部・足関節戦略、股関節戦略、前庭系、視覚系など、複数のシステムへの統合的アプローチ。
- 指導内容:
- 静的バランス課題: 支持基底面を段階的に狭くする(開眼→閉眼、両脚立位→セミタンデム→タンデム→片脚立位)。
- 動的バランス課題: 静的バランス課題に、リーチ動作や頭部回旋、柔らかいマットの上(バランスクッション等)といった二重課題(デュアルタスク)や感覚入力を変化させる課題を付加する。
- 自宅での自主トレ指導: 歯磨き中の片脚立位など、日常生活に組み込める安全な課題を具体的に指導し、習慣化を促す。転倒リスクの高い患者様には、必ず壁や机のそばで実施するよう徹底させる。
まとめ:SPPB-comを、私たちの臨床の新たなスタンダードに
本日は、SPPBの天井効果を克服するために日本で開発された「SPPB-com」について、その臨床的意義と活用法を深掘りしました。
- SPPB-comは、従来のSPPBの天井効果を解消し、地域在住高齢者の下肢機能をより詳細に層別化できる優れた「ものさし」である。
- そのスコアは、将来の要支援・要介護発生リスクと強く相関しており、客観的データに基づく強力な患者教育・動機付けツールとなる。
- SPPB-comは年齢や認知機能とは独立した予測因子であり、私たちがアプローチする「下肢機能」の重要性を科学的に裏付けている。私たちの専門性を明確に示す武器となる。
評価指標は、ただ測定して記録するだけでは意味がありません。その結果を解釈し、予後を予測し、患者様とゴールを共有し、介入プログラムを立案・修正し、そして介入の成果を証明する。この一連の臨床思考プロセスの中で活用してこそ、真価を発揮します。
このSPPB-comは、まさにそのプロセス全体を力強くサポートしてくれる、信頼できるツールです。ぜひ、明日からの臨床でこの新しい「ものさし」を試してみてください。そして、患者様の未来をより良い方向へ導くために、このエビデンスを活用していただければ、同じ理学療法士としてこれほど嬉しいことはありません。
参考文献
Makizako H, Shimada H, Doi T, et al. The Modified Version of the Short Physical Performance Battery for Community-dwelling Japanese Older Adults. Rigakuryoho Kagaku. 2017;44(3):197-206.
注意喚起 本記事は、理学療法士・理学療法士学生向けの情報提供を目的としています。記事内で紹介されている評価や運動療法を患者様に適用する際は、必ず個々の状態を評価し、リスク管理を徹底した上でご自身の責任において実施してください。
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